会社をやめただけでは自由になれなかった話
- 2017.12.22
- ライフスタイル

会社をやめました。
現在はいわゆる有給消化期間で、今日で2週間が経過したところです。
会社をやめた!もう縛られることはない!!自由だ!!!なんてやめた当時は思っていましたが、実際に仕事のない2週間を過ごしてみると、そこまで自由を感じていません。
なんでだろう??こうなるはずではなかったのに。。
会社をやめてもすべきことを詰め込んでしまう目的志向
おそらくこれに尽きると思います。
会社をやめた現在でもやることがいっぱいだったりします。
英語の勉強をしてみたり、美術館に行ってみたり、次の生活への準備をしてみたり、夜は毎日飲み会が入っていたり。
文章にしてみるとすごく充実して見えるし、会社から与えられるのではなく、自分で予定を入れているという点では進歩かもしれません。
しかし、実際にこれらが詰め込まれた生活を送ってみると、仕事をしている時に近いストレスを感じている自分がいました。
なぜこんな生活になってしまったかというと、自由な時間ができた → 何かやらなきゃ → 前から英語を話せるようになりたかったから英語の勉強をしよう という思考回路みたいです。
他の詰め込んでいることについても同じ。
だけどこの「何かやらなきゃ」の思考が罪深くって、サラリーマンとして作り上げてきた目的志向がこうさせているみたいです。
将来の自分のために、いま頑張ろう的な。
仕事をやっている上ではすごく重宝されるこの思考回路も、自分自身の幸福感としてはあまり重要ではなかったりするんですよね。
もちろんそれが重要なタイミングもあるとは思いますが、それが全てではないはずです。
頑張って実現できた将来の自分は、さらに将来の自分のために頑張っていて、実現できたはずの現在の自分に満足できなくなっている。
自分が求めている将来の自分は、自分の成長とともに自動的にアップデートされていって、いつまでも追いつけない。
そしていつの間にやら時間切れで死んでしまう。
そんなこと分かっているつもりなのに、ついつい頑張らなきゃと思ってしまう。
それが目的志向です。罪深い。
自由や幸福感を感じる時間を増やす
いま自由を感じない理由は「今を楽しんでいる!」という感覚があまりないところだと思います。
将来のために生活しているんだからそりゃないのも無理はないです。
じゃあ何が「今を楽しむ」になるのかと考えると、将来に生きてきた僕みたいな人はちょっと考え込んでしまったりします。
こういう時に何かを考える糸口として「ムダなこと」を考えてみると良いです。
同じ映画を何回も見る人、カレーをスパイスから作る人、誰に見せるわけでもない小説を書く人、カメラを持ってあてもなく散歩をする人。
こういう人たちは、将来のためではなく今その瞬間の幸福感のためだけに、これらの活動をしているのでしょう。
そして、とても自由で幸せな時間に思えます。
ただ、これらのことをそのまま自分がやってもダメで、自分にあったムダを探すことが必要でしょうが。
ただ、僕みたいな人間は「ムダなこと」と聞くと反射的にビクッとしてしまいます。
そんなムダなことをやって何の意味があるの??と言うように。
しかし、「ムダじゃないこと」が「将来のためになること」とほぼ重なるように、ムダを避けること自体が将来に生きているという証拠にもなる気がします。
ビクッとした人は要注意!
だけど、「ムダなこと」が全て幸福につながるかというとそうではなくて、例えば穴を掘って埋めてを繰り返すようなことは、多くの人にとってただの苦痛です。
「ムダなこと」の中に、本当にムダなことと幸福につながることがあって、そしてそれはかなり個人差があることなのだろうと思います。
まとめよう。
人は将来にのみ生きて目的志向になっている時には幸せを感じにくく、そのトラップに現在の自分はハマっているようです。
このままでは会社をやめたこれからも今までと同じように、ストレスがある生活を送り続けなければならないかもしれません。それは無理。
現在を生きていると感じ取れるようなことを、意識的に選び取っていきたいです。
まずは机に4冊転がっている江國香織の小説をつっつくところから始めたいと思います。
考えてみると、江國香織の小説はとても今に浸れるような文章なので、僕のリハビリにはうってつけかもしれません。
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