「働くこと」の本質とはなんだろう

「働くこと」の本質とはなんだろう

「働くこと」とは何か。

誰もが一度はこの疑問を持ち、答えを探した経験があるのではないでしょうか。
仕事が嫌になった時や、旅行や入院などで仕事を離れた時、ふとこの疑問が頭に浮かぶ人も多いでしょう。

この疑問を解くヒントとして、働くことって何なのか掘り下げてみたいと思います。
本質的なところになりますので、明日から使えるような即効性のあるメソッドはここにはありません。
しかし本質を考えているのかどうかで、その後の働き方が大きく変わっていくものだと思います。

働くのは「生きるため」

「何のために働いているんですか?」と聞くと、「そりゃあ生活のためだよ」と答える人が割と多いと思います。
特に働くことに疑問なんて持っていないような「大人」は、こういう回答が多いように思います。
(偏見は認めます。)

ここでいう「生活のため」とはもちろんお金のことです。
家賃、食費、光熱費、遊ぶお金などなど、生きるためにはお金がかかります。

働くことはお金へとつながり、お金は生活を維持することにつながるということです。
当たり前のことを言っているようですが、この流れを意識することはとても重要です。

働くことをお金に変える意味

働くこと→お金→生活の維持 という流れになりますが、なぜお金を経由する必要があるのでしょうか。
自分の生活を維持するために直接活動するという方法もあるはずです。
生活の維持が目的ならばそれで十分でしょう。
(人はそれを自給自足と呼びます。)

では何のためかといえば、そっちの方が効率がいいからです。
自給自足をしようとすると、自分で食べ物をとってきたり育てたりしないといけない。服も作らないといけない。家も作らないといけない。
自給自足と聞くと呑気な感じがしますが、かなり大変です。

ここにお金があると分業することができます。
釣りが得意な人は魚をずっと釣っていればいいし、服を作るのが好きな人はずっと服を作っていればいい。
1つのことに集中すればだんだんと慣れてきて、どんどん効率が良くなっていきます。
そうやって増えた魚や服は、お金と引き換えに誰かと交換すればいい。
そして足りないものは、それが得な人にお金で交換してもらえば生活が成り立つというわけです。

それぞれが1つの事に集中することで効率が良くなるので、社会全体としてたくさんのものを作ることができます。
これが分業のメリットであり、働くことを一度お金に変換する意味です。

今の時代における分業

そんな大昔の話をされてもピンとこねーよ、と思った方、その通りです。
これをサラリーマンに置き換えてみましょう。

その前に、サラリーマンが働く「企業」とは何か。
企業は前の話で言う、分業された作業を行う人(魚を釣る人・服を作る人)に置き換えると分かりやすいです。
魚の場合はそのまま漁をする会社で、服の場合はアパレル会社というところでしょうか。

もっとも現在ではますます分業が進んでおり、漁と言っても魚を釣る会社に加え、船を作る会社、釣りの道具を作る会社などに分かれています。
アパレルに至っては、糸を作る会社、布を作る会社、デザインする会社、海外から布を輸入する会社、ミシンを作る会社などなど、かなり細分化されています。

そしてその中で働くサラリーマンは何かと言うと、それぞれの企業の仕事を更に分業しているのです。
例えば船を作る会社でいうと、設計する人、材料を発注する人、材料の在庫を管理する人、材料を組み立てる人、商品を出荷する人、商品の営業をする人、そして、法務・経理などのバックオフィスや事務作業を行う人達などなど。
挙げていくと切りがないですが。

ただ、サラリーマンがそれまでの分業と少し性質が違うのが、サラリーマンは自分の作ったものとお金を交換するのではなく、自分の使った時間に対してお金がもらえるという仕組みだということです。

サラリーマンの仕事は自分たちの生活に通じている

以上のことを逆にたどってみると、サラリーマンの仕事は自分たちの生活に通じることが分かります。
造船会社での事務作業は、船となり、漁師の釣った魚になり、人々の家の食卓に並ぶのです。
そういうイメージを持って働けてますか?

「うちはBtoBだから関係ないよー」という人がいるかもしれませんが、どんな仕事も最後には自分たちの生活につながっています。
例えば、企業向けの保険を売っているとしましょう。
この場合、その保険会社は顧客企業のリスク管理を請け負っていることとなり、その顧客企業が造船会社だったとすれば、先に述べた流れのとおりです。

考えてみるとたしかにそうだと分かりますが、実際に働いている時にはなかなか気付けないものです。
分業されすぎて自分の生活とのつながりが見出しにくいために、働くことで自分は社会に対して何をやっているのか分からなくなることもあるでしょう。
そんな時にはこの考えに立ち返ると、少し納得感を持って仕事に取り組めるかもしれません。

分業化したのに週に40時間も働いている僕ら

さて、ここで少し矛盾をつついてみたいと思います。

分業によるメリットは効率が上がることだといいました。
そしてサラリーマンとして働いているということは、極度に分業化が進んだ結果だとも説明しました。
だけど僕たちが1日8時間・週5日で働いているのってなんかおかしくないですか??

そのカラクリは「細分化されすぎて自分が何をやっているか分からない」というところにあります。

サラリーマンは自分の仕事がどれだけ分業化されているかに関わらず、1日8時間・週5日で働き、同じような給料をもらいます。
とは言っても数倍程度の差はありますが、分業による効率化に比べたら誤差の範囲と言っていいでしょう。
サラリーマンの分業は、自分の生み出したものではなく、自分の使った時間に応じてお金が支払われる性質だと言ったのはこういう意味です。

では企業内での分業のメリットを誰が受け取っているかというと、それは企業(=株主)です。
社員が生み出した価値の中から、企業の取り分をさっ引かれて、給料となるのです。

「こんな搾取は不当だ!」といえば共産主義者の出来上がりなのですが、僕としてはサラリーマンの働き方にもメリットは多いと思っています。
会社の業績がたとえ悪化したとしても、基本給がガクッと下がることはないでしょう。
それに企業側もその形を作って回していくのは大変なのです。
自分が起業すると考えてみたら、経営する側の大変さも理解できると思います。
だったらそのボーナスとして、少し搾取するくらいいいんじゃないかなーと思っています。

つまりはサラリーマンとして働く中で、その仕事は自分たちの生活が細分化された中の一つであり、その捉え所の無さから、働いている会社にいくらか利益を吸われているんだと、そういう意識を持ちながら働いてほしいです。

働くもう一つの理由は、認められている場所のため

働く理由は、生きるためだけではありません。

たくさんお金を稼いでたんまり貯金をした人は、じゃあもう働かないかと言えば、それでも働き続けるでしょう。
サラリーマンとして働く一方で、投資に成功して一財産稼いだような人も、サラリーマンとして働き続ける人が多いです。
たくさん退職金をもらって定年した人が、定年後も働き続けるなんて話もよく耳にします。
それは、企業に属することそれ自体に価値を感じているからです。

人間は社会的な動物です。
人の集団に属して生きていきます。
大昔にはそうしていないと猛獣に食べられてしまっていたので、本能的に群れたがるものなのだと言われています。
なので今の社会でも「あの人はこの集団の一員だ」という場所がないとどうも安心できなくなってしまうのです。

社会人にとって自分の居場所は、家族を除くと会社になることが多いでしょう。
いくら生活が維持できるからと言っても、自分の居場所を手放すような真似はしないのです。
「あの人はこの集団の一員だ」とまわりが認めてくれているような場所が、人間には必要なのです。

社会から認められること

そして人々は会社の人達だけではなく、社会一般に対しても存在を認めてほしいと思います。

サラリーマンという職業は便利なもので、今の社会においてサラリーマンとして会社務めしているだけで、まわりからはちゃんとしている人とみなされます。
それが大企業や公務員となったときには、「あの人はすごい」と称賛の目で見られます。

それが無職になるとどうでしょう。
「あの人いい年してフラフラしているらしいよ」「働いてないなんて普通じゃないのよ、きっと」なんて裏で言われかねません。
たとえ生活できるだけの蓄えがあったとしても、こうやって後ろ指さされるのであれば、気持ちの良いものではないですよね。

そして、社会から認められるためには金も必要です。
家や車を買ったり、子供を私立の学校に入れたり、高い美容室にいったり、高い服を買ったり。
「あの人すごい」という評価は、ある程度は金で買えます。
しかし普通の基準を下回ってしまうと、「きっと貧乏人なのね」と逆に蔑みの対象になってしまいます。

つまり社会一般から認められて「すごい!」と思われるには、ある程度のお金が必要となるのです。
そして世間が求める普通ラインを維持するだけでも、生活を維持するのに比べたらかなり高額がお金が必要となります。

このように働いてお金を稼ぐ理由は「生きるため」を飛び越えて、「お金を増やしてより社会から承認されるため」という発想につながっていくのです。

まとめ

くどくどと書きましたが、「働くこと」は「生きるため」と「認められるため」に大きく分けられるというのが伝えたいことです。

日々働いていて、「こんな毎日続けてていいのかな、、」なんて思っている人は、自分が働いていることが何に通じているのかを考えてみると、すこし理解が進むのかなと思います。

「転職しろ!」とか「起業しろ!」とか、分かりやすいメッセージを書いていないのは、答えはそんなに単純じゃないと思うからです。

それぞれの生き方・価値観に照らし合わせて、自分に合った働き方を選べばいいのだと思います。