学歴が低い人は、客観的な見方ができないんだと思う。

学歴が低い人は、客観的な見方ができないんだと思う。

東京から地方に引っ越して驚くことはたくさんありますが、その一つが「高卒の人が多いこと」です。

東京は情報感度の高い人が集まっているのか、まわりを見回しても大卒の人ばかりなんですよね。
地方も田舎だと、大卒者はFラン大を含め、半分を下回るんじゃないでしょうか。

高卒の人が能力が低いなどとは言うつもりはないのですが、大卒と高卒でものの見方に違いがあるように思います。

もちろん個人差はかなり大きいところだと思いますし、あくまでも傾向としての話です。

主観的な高卒、客観的な大卒

高卒の人は主観的な意見を多く言うように思います。

自分の持っている考え方が正義だと思っているところがあったり、テレビなどが伝える2次情報を過信するようなタイプです。

このタイプは口喧嘩には強いけど、議論には弱いんですよね。
勢いで押し切ろうとする、僕の苦手なタイプです。

一方、大卒は客観的な視点を持てる人が多いです。

自分が発した言葉に対して、相手がどう感じているのかを常に確かめたり、自分の考えと違った考えの人がいることを認識していたりするタイプです。

論理的だけど、何を考えているのかわからないと思われることもあるかもしれません。

勉強とは客観性を身につけること

この違いがどうしてできていくのかなと思った時に、やはり勉強の重要性は大きい。

勉強って客観性を養っていく作業だと思うんです。

ある問題が出された時に、自分が間違いないと思っている回答でも、バツを付けられたりする。

「どうしてなのかな?」と模範解答と自分の考え方を照らし合わせていき、違いを認識する。

そうやって頭の中に、世の中での「正解」としての知識が積み上がっていくのです。

このように、自分と世の中を比較して違いを認識し、世の中の正解を増やしていくプロセスが、客観性につながっていきます。

大卒はまわりの目を気にして生きてきた

もう一つ考えられる要因は、そもそもまわりの目を気にして、客観的な視点を持っていたから、大卒になったということです。

勉強を好きでやっている人は多くはないと思います。

そんな中で大学に行っている人は、親や先生からの「勉強しろ!」という要請に答えていったから、大学に通っているのでしょう。

主観的視点しかなければ、自分が楽しくて心地いいことをしがちですので、その要請に従って熱心に勉強をするということはないと思います。

自分は苦痛だと思いつつも、親や先生の要請を信じて熱心に勉強できるということは、それだけ客観性があるということでしょう。

これは客観性のネガティブな側面かもしれません。

まとめ

これはあくまでも傾向であって、全員に当てはまるわけではありませんし、ここで言いたいのは勉強したほうがいいよーということです。

主観的な生き方も否定しませんし、実際すごく楽しそうに生きている人も多いですが、年寄りになって主観的な見方しかできずなんだか見苦しい人がいることも事実です。

一度、主観・客観的視点について考えてみるといいと思います。