幸福な生き方とは

幸福な生き方とは

年の瀬ということもあり、幸福な生き方について考えたいと思います。

僕は人生の節目で「幸福とはなんだろう?」と考えてしまう人間で、色んな人の幸福論もよく参考にしてきました。

それらの幸福論をもとに自分の経験も踏まえて、これから書いていく考えに行きついています。

考え方の一つとして参考にしていただけると嬉しいです。

人間と人生について

まずは前提として、私が考える「人間」と「人生」について、話していきたいと思います。

私は人間は承認欲求の塊だと考えています。

マズローの欲求階層説で下から4番目に置かれている欲求であり、それより上の欲求も下の欲求もあるわけですが、現代社会に生きる私達はほとんどこの承認欲求に支配されていると考えています。

承認欲求に取り憑かれすぎて、例えば自分の見栄えばかり気にして生きるインスタグラマーのような人は、少し行きづらいと思います。

しかし承認欲求を完全に封じ込めるのも精神衛生上よくないため、この承認欲求をうまくコントロールしながら満たしてあげると良いでしょう。

次に、人生についてですが、私の人生の目的の解釈は「自分の幸福度を高める」ということだと考えています。

つまり今回説明しようとしている「幸福」は即「人生の目的」へとつながるということです。

この解釈にはほとんどの人が納得してくれるだろうと思いますし、「なんだ、そんな当たり前のこと」とも思われそうですが、この視点を持ってまわりを見渡してみると、この考えの逆の行動を取っている人がよく見つかります。

例えば零細企業の2代目社長の例。地方に住んでいると、時代に取り残されているのに潰れていない零細企業をよく見かけますが、そこの初代社長が高齢で引退したあと、その息子があとを継ぐということがよく起こったりします。

そんな企業なんて借金はたくさんあるし、将来性もないしで、いっそのこと潰してしまったほうが合理的ではあると思うのですが、家業として継ぐように小さい頃から言われてたとか、取引先に迷惑をかけられないとかで、やりたくもない社長を息子がやるなんてことが起こってしまいます。

もちろんその息子がやる気満々であったり、廃業した時に初代社長や取引先からの目があまりにもきつい場合は、社長をやったほうが人生の幸福度が高まるかもしれませんが、「俺の役目だから」と盲目的に自分の気持を無視して社長になるのであれば、明らかに自分の幸福度を下げています。

他にも、子供の教育に全人生をかける母親、会社の不正にいやいや加担してしまう社員など、挙げると切りがありません。

こうやって人生が歪んでしまう原因は、「役割」と「現状維持」にあると思います。

これらにハマっているのであれば、自分の「幸福」という視点から人生を見て見る必要があります。

2つの生き方「向上」と「満足」

前置きが長くなりましたが、幸福を求めることが人生の目的であると説明させていただいたところで、幸福はどうやって得られるのかについて考えてみたいと思います。

いろいろな人が幸福について書いているものを見てみると、その主張は大きく2つに分かれると感じています。

それは「向上」と「満足」です。

「向上」は今以上のものを求めて向上心を持って人生を進めることであり、「満足」は今の生き方に満足するということです。

「向上」の人生

「向上心をもて!」というセリフは学校や職場など、いろんなところで聞かれますよね。

学生に求められることは学力を上げることで、また会社員に求められることは仕事力を上げてたくさんこなすことですので、そういう価値観で動いていることは当たり前とも言えます。

そして個人のこととして考えても、いろんなことを頑張って、自分が成長して、現状がより良くなって、という毎日はとてもワクワクして楽しいものです。

こうやって向上していくことが幸福であり、人生の喜びだと言う考えが「向上」の人生です。

いい大学に入って、いい会社に就職して、昇進して、給料が上がって、結婚して、子供ができて、子供が成人して、、みたいな生き方、とても素敵に思えるのが一般的なのではないでしょうか。

素敵に思える一つの理由は、最初に述べた人の承認欲求をとても満足させることができるからです。

つまりこのような生き方をスムーズにできると「すごいね!」や「おめでとう!」などの言葉をたくさんかけてもらえます。

しかし、この生き方も良いところばかりとは言えないのです。

向上心を持って生きていても、必ずしも成功できるとは限りません。そして、一度失敗してしまうと、失敗の負の連鎖になってしまうこともあります。

承認欲求は全く満たされなくなり、「こんなんじゃ格好がつかない」と必死にもがきますが、うまくいくことばかりではなく、果てには人生に絶望してしまいます。

また、向上心を持ってバリバリ生きている人にも、「向上心の罠」とも言える現象が起こることがあります。

これについては、「目標型」と「展開型」について書いた以下の記事内で詳しく書いていますが、簡単に言うと目標を達成した自分にはまた新たな目標ができていて、いつまでも理想の自分に追いつくことができないということです。

「より良い人生にしよう!」と日々がむしゃらに頑張っても、その理想に到達することは一生できません。

「満足」の人生

「向上」の生き方がかなりもてはやされている現代ですが、その反動とも言うべきか「向上なんて求めなくていいよね」という考え方も今では目立ってきています。

僕は、「ゆとり世代」「さとり世代」「草食系」などと呼ばれた世代ですが、まわりでは会社での昇進を求めない友人も一定数います。

生まれてから長い間ずっと景気が悪かったので、努力しても報われないという社会の雰囲気を感じながら育ってきたからかもしれません。

そんな中で生まれてきたのが、多くを求めず現状に満足するという、「満足」の生き方です。

「向上」の価値観を持っている人は、幸福は外からもたらされると思いがちですが、実際には幸福は心のなかで感じることであり、必ずしも外からの何かは必要ありません。

毎日の生活をゆっくり振り返ってみて、今日もご飯が美味しいなとか、家の前の花が開いてきたなとか、友達がいつもよりほんの少し優しかったなとか、そういう生活のささいな喜びを噛みしめるだけで、幸福感は随分と高まってきます。

都会で忙しく働いていると、田舎暮らしに魅力を感じる人も多いと思いますが、これは「向上」の生き方でのストレスが重なり、「満足」の生き方へ心が引き寄せられているとも言えます。

しかしこの「満足」の生き方にもデメリットがあります。

まず、「満足」の人生にはあまりに変化がありません。

もちろん生粋の「満足」の住人であればその生活に文句もないでしょう。しかし、もともと「向上」の生活をしていた人からすれば、同じ毎日が繰り返されることは苦痛でしかありません。

そして、承認欲求を満たせないこともデメリットとしてあります。

世の中の大多数は「向上」サイドの人々なので、自分が現状維持していると、まわりから「この人は向上しない人なんだな」と思われます。

もちろんそんな意見は無視していればいいです。

しかし「向上」の考え方を持っていた過去があると、そうやって見られていることがよく理解でき、「どうしてまわりは向上しているのに、自分は変わらないままなのだろう」と承認不安からくる自己嫌悪に陥ることがあります。

どちらがいいの?

2つの生き方について話してきましたが、ではどちらの生き方が良いのだろうか、と考えると思います。

僕の中の結論としては、いいとこ取りをするのがベストだと考えています。

まずは現在の生き方に満足すること。

そのためには自分の生活を最低限整えておく必要があります。この記事の最初にマズローの欲求階層説を紹介しましたが、その中の下2段につながる衣食住がある程度整っていないと、「どう生きるか」を考える以前の問題となります。

贅沢とは言わないまでも、大きな不満もない生活を送れるくらいの生活基盤を整えておくのが前提です。

その上でその生活の中で幸せを探しましょう。そうすれば現在の人生がだんだんと喜びのあるものになっていくと思います。

この生き方は、変化や承認欲求を満たすものがないということはすでに説明したとおりです。

なので「向上」の要素を取り入れます。

現在の生活に満足した上で、「こうしたらもっと面白くなるんじゃないか?」ということを日々行っていきます。

そこで現在の満足感を犠牲にしていっては負のループに陥るので、最低限いまの満足感は維持することが大事です。

それに成功すれば生活がもっと面白くなるし、失敗したとしてもそれを楽しめるくらいの心の余裕はあると思います。

その中で何かを突き詰めていって、例えば温泉が好きで全国の温泉をブログに載せていってちょっとした有名人にでもなれれば、まわりからの承認も得られるでしょう。

まとめ

「向上」と「満足」のいいとこ取りの人生、いかがだったでしょうか?

現在を殺して向上ばかり目指す人生でもなく、現在ばかりに注目して退屈してしまう人生でもなく、最低限満足のいく生活をしながら向上を目指すというのが、僕なりの答えです。

もちろんたくさんの違った意見があるとは思いますが、一つの参考になれば嬉しいです。