幸せになる気がない人

幸せになる気がない人

昨日、数年ぶりにある友達から連絡があり、パソコンについて教えてほしいと言われました。

しかし実際にはパソコンのことは口実に過ぎず、なにか他のことを伝えたいような雰囲気でした。

今日はそのことについて、少し書きたいと思います。

人生の閉塞感

その友達は保育園から中学まで同じで、高校から僕は進学校に行き、大学では地元を離れた一方で、その友達はヤンキー高校に行き、高校卒業後は地元の小さな工場に就職したようでした。

中学まで一緒だったと言ってもたまに話すくらいで、すごく仲が良かったというわけでもありません。
高校を卒業してからは、同窓会的な場でたまに顔を合わせるくらいでした。

前回会ってから1年以上は経っていますが、その時に仕事でのパソコンの使い方に困っている様子だったので、「教えてあげるよ」と言いました。
そういう経緯で今回連絡があったのでした。

パソコンの話だけでも数時間は話したのですが、それが終わってもなにか話足りない様子だったので、話を聞きました。

すると、仕事でキャパオーバーな役割を任されているとか、恋愛する時間もないとか、まわりの友達は結婚してしまって遊ぶ相手がいないとか話し始めました。

聞いた感じからすると、未来が明るくなくて人生に絶望してしまって、僕と関わればなにか起きるかなと連絡をくれたのではないかと思います。
もしかすると本人に自覚はなかったのかもしれませんが、心の奥底ではそう思ってたのだと思います。

変化のタネを探す

地元に戻ってからこういう人は何人も見てきました。

僕は自分で仕事したり、父の会社で役員をやってたりと、ちょっと変わった生き方をしています。
なので、この友達のような刺激がほしい人からすると、関わると何か変化が起きそうな人とでも思われているのかもしれません。

僕としても頼られるのはうれしいのですが、こういう人たちは僕がどうしようとしてもどうにもならないことが最近わかってきました。

人生を良くしていくためには何か行動を起こす必要がありますが、こうしてみたら?と人生をうまい方向に変える方法についてアドバイスしても、行動する気にはなれないみたいでした。

彼はまるで、僕が彼の人生の苦境から救い出してくれることを望んでいるように、ただただ自分の苦しさを語っていました。

僕も手を差し伸べることくらいはできますが、止まっている彼の背中を無理やり押すことはできない。
彼の意思で僕の手をつかむことくらいはしてくれないと、僕の考えだけで彼の人生を左右させることなんて変な話ですから。

結局、こういう人たちに対しては、不満を聞いてあげることくらいしかできません。
僕に話すことでストレスを軽減してもらうくらいしか、方法がないのかなと感じています。

地元から出ずに一生を終える人

こうやって人生に絶望している人は都会にもいました。
だけど少し性質が違うように感じています。

都会で絶望している人は「もがいている」というとぴったりきます。
働けど働けど仕事は苦しくなる一方だし、副業もうまく行かなし、みたいな感じ。

都会にいる人は地方出の人が多いですが、「地元を離れる」という選択をした人はそれだけの行動力がある人だとも言えます。
絶望して先が見えない状態かもしれないけど、いろいろ試してもがいている、という状態です。
今は絶望状態かもしれないですが、何かがうまく行けば、人生は楽しいものになっていくのかもしれません。

一方で地元を出ずに絶望している人は、行動できない人が多いです。
絶望はしているけど、じゃあどうしよう、と次の行動を考える思考になりません。

それはおそらくこれまで生きてきた中で、目の前に選択肢が出てきたらなるべく消極的な選択肢をとってきたからだと思います。
親に言われた、先生の言うとおりにした、こっちの方が失敗しないと思った。
自分の人生がどう展開していくかはあまり考えずに、歩きやすい道を歩いてきたら、行き止まりになってしまったというところでしょうか。

地元に残って無難に生きることが悪いことだとは全然思いません。
実際、それで仕事も認められて家庭も持って幸せそうな同級生もいます。
しかし、行動力がないままに人生の袋小路に迷い込んでしまったら、もう為す術もありません。

彼らに対してできること

とは言っても、目の前で困っているのだから助けてあげたいというのが本音です。

僕もそれこそ高校まではすごく受け身の生き方をしていて、これではいけないと少しずつ行動力を上げてきたという過去があります。
なので、彼らがつまづいているところは多少は分かっているつもりです。

だからこそ、今回友達の話を聞いたときも、現実を少しずらす方法はなんとなく分かりました。
だけど、例えば恋愛の話になった時に、「マッチングアプリでも使ってみたら?」というと、「あんまりそういうの得意じゃなくて」「もう少し若ければよかったけどね」などなど否定的な答えばかり出てきていました。

自分に劣等感を感じている時に「正しい意見」ほど苦しいものもないので、話の途中でジャブ程度に出していってたのですが、ことごとくかわされました。
結局、最後には聞き役に徹するしかありませんでした。

都会のもがいている人なら勝手に助かるかもしれないけど、地方の行動できない人は人生の波に飲まれていくことは目に見えています。

すごく苦しそうだから助けたいのだけど、為す術もないのです。

まとめ

地方で絶望している人はあまり知られていない思います。
僕も地元に戻って初めて気づきました。
都会で苦しんでいる人が目立つのとは対照的です。

おそらく個人に発信力もないし、地方で記者もすくないからメディアで取り上げられることも少なく、世間の目にあまりさらされることは多くないのでしょう。

こういう人たちはどうしたら救われるのでしょうか。
救えない自分に無力感しかありません。