ミニマリストの最終目的は捨てることじゃない

ミニマリストの最終目的は捨てることじゃない

「ミニマリスト」という言葉がでてきてかなり時間も経ち、世の中でもこの言葉が定着したと感じます。

ミニマリスト以前にも断捨離やシンプルライフと言った言葉で、物を減らす生活というのが一部では好まれてきました。

僕自身こういう価値観に共鳴してから8年ほどが経過しており、自分なりの「シンプルさ」を探してきました。

今一度これらがもたらすメリットを考え直そうと思い、まとめてみたので、以下で書いていきたいと思います。

「ミニマル」を突き詰めると死ぬしかなくなる

「ミニマリスト」や「断捨離」と聞くと、無慈悲に物を減らしていく光景が浮かんできますが、本質は全くそこではありません。

ミニマリストは合理主義者と言われ、そうやって捨てるのも生活に必要でないものを合理的に判断して捨てているわけですが、その合理性の行き着く先は「死」しか無いのだと思います。

生活をシンプルにするためには、物だけでなく、情報、人脈、食事など、生活のあらゆる物を合理的に削ぎ落としていくわけですが、突き詰めていくと自分自身と対峙していくこととなります。

大きな旅行かばんはほとんど使ってないから捨てよう、いつも旅行で使っていたキャリーケースも普段使いのリュックで事足るから捨てよう、持ち物を減らして手ぶらで外出できるようになったからリュックいらなくなったけど、捨てると旅行の時のバッグがなるなるしな、、そもそも旅行って無駄じゃない?、リュックを捨てて旅行行くのやめよう、と極端ですがこんな感じです。

シンプルな生活を突き詰めていくと、物を捨てる視点ではなく、自分には何が必要なのか?というゼロからの視点となり、その問いに答えるには自分の生き方を合理的に理解する必要が出てきます。

そこで疑問に思うんです。
「生きる意味を合理的に理解できるのか?」と

僕の考えですが、生きる意味はないのだと結論づけました。

意味はないけど「生きたい」と思ってしまうのは、地球の長い歴史の過程で、「生きたい」と思わない生物は淘汰され、「生きたい」と思う生物がたまたま地球上に残っているに過ぎず、その結果が私達だからなんだと思います。

その「生きたい」と思うか思わないかは、遺伝子配列の違いでしかなく、そこに特に意味はないのだと思います。

なのでミニマリスト的には、生活コストがたくさんかかる「生きる」という行為は無意味であり、断捨離対象です。

最近は「ミニマリスト」というのは少し宗教的になってきているように思えますが、そうやって熱狂的になっている人たちはファッションで物を捨てているにすぎず、その延長線上には死しかありません。(といってもこの人達は数年のうちにミニマリストをやめます。。)

だからみんなで死にましょうと言いたいのではなく、ミニマリストの思想の本質は別のところにあるのです。

それは端的に言うと「無駄の再選択」であり、一般的なミニマリストの考えとは少しかけ離れていると思います。

シンプル VS 物質主義

少し社会的な背景に触れておきたいと思います。

このシンプルさを求める社会の風潮は、発達した「物質主義」の社会に反抗しようとする流れです。

物質主義とは物や金などの経済性の高い物事を優先させる姿勢のことです。

「高い給料がほしい」という金銭的欲求であったり、「自分の家を持ちたい」という物欲などがこの考えから生まれてきます。

この対極にあるのが、人間関係や愛、経験、思考などを優先させる考え方です。

宗教なんかはこの考えを重要視して、物質主義的な考えは避けるように言ってたりしてますね。

物質主義は経済が発達してない状態から一気に成長する過程ではある程度機能します。

日本の高度経済成長期はそういう時期だったでしょう。

何もない状態からたくさん商品が増え、頑張って働くと給料も増えていき、たくさん物を買って、生活が豊かになっていく。

そういう状態が何十年も続き、今の日本の基礎を作りました。

しかしある程度経済が成長しきると、市場にものがあふれるようになってきます。

そしてバブルも崩壊して給料も上がらない時代となっていきました。

そうなっても企業というものは、広告やマーケティング戦略などあらゆる手を尽くして消費者に商品を買わせるので、人々の身の回りには必要以上の物が溢れてきます。

物質主義的な価値観をまだまだ基礎としている社会なので、人々は身の回りにものがあふれることに対して疑問を抱かず、むしろ良いことだと認識しています。

そして最終的に僕達の生活は、管理できないほどのたくさんの物があふれ、少ない給料でたくさん物を買うのでお金も手元になくなります。

今は物の視点から語りましたが、同じことが物以外でも起こり、情報が多すぎて混乱し、食べ物が多すぎて太ってしまう、などの影響が出ています。

そういった現状に疑問を抱いた人が、シンプルさを求めているのだと思います。

ミニマリストの最終目的

前置きが長くなりましたが、ミニマリストが求めるものは徹底した合理化ではありません。

それは「無駄の再選択」と書きましたが、自分の生活を豊かにする「無駄」なものを、自分でゼロから選んでいくということです。

それによって自分の人生を豊かにしていくことがミニマリストの目的です。

何も考えずに生活をしていると、資本主義の社会においては、色んな所から商品を押し売りされます。

それに無防備に構えていると、たくさんのものが増えて、自分のお金を失います。

そんな事にならないように、しっかりと必要なものだけを選び、その分のお金と、不要なものを管理する時間などを取り戻すのです。

そしてそうやって生まれたお金や時間を、自分の人生を豊かにしていくことに投じていきます。

旅行に行くのでもいいし、友達とご飯に行くのでもいいし、身の回りのものをもっと上質なものに買い換える(もちろん古いものは捨てましょう)でもいいです。

旅行や外食は上質な高い買い物は、見る人からすれば無駄でしかないですが、それで問題はありません。

本人が自分の人生を豊かにすると考えたものを生活に織り交ぜていくことが大事で、身の回りの物事を極限まで削ることがミニマリストの本質ではないのです。

まとめ

ミニマリストについてご理解いただけたでしょうか。

ミニマリストといってもたくさんの人がいろんな解釈を付けているので、また違った理解があるかもしれません。

僕はミニマリストとシンプルライフ、断捨離などといった考え方を、少しづつニュアンスは違いますが、同じようなくくりで考えてますので、その点ご承知おきください。

現在、ミニマリストブームの第二波がきているように感じていますが、特にYouTubeなどで「ミニマリストやめました。しんどいので無理です。」みたいなのをたまに見たりしてて、なんか違うよな?と思いこの記事を書いてみました。

ユーチューバーだからか分からないですが「もの捨てました!(ドヤ)」みたいなのも多く、すごく薄っぺらだと感じています。

ミニマリストの裏には思想があり、物を捨てることは手段の一つに過ぎないんです。

僕はこういう生活を10年弱送っているので、もはや前の生活は思い出せませんが、こうやって生活することはとても気分が軽やかで気持ちいいです。

もし「ミニマリスト」や「シンプル」という言葉に共鳴する人がいたら、ぜひとも手段ではなく考え方から、生活に取り入れていただけるといいかなと思います。