コロナ禍でどう行動するべきか?個人的見解
- 2021.02.09
- ライフスタイル

前回はコロナに対する認識について書きましたが、今回はその続きとして、コロナ禍でどう行動するべきなのかについて書いていきたいと思います。
前回同様、これはあくまで僕自身の考えであり、これが絶対に正しいと思って書いているわけではありません。
他にもたくさんの意見がありそれぞれに正しさがあると思っていて、それらを否定する気はまったくありませんので、その点よろしくお願いします。
人生の目的は「幸福」
まず大前提として人生とは幸福を求めるものだと考えています。
これはコロナ禍でも同じです。
「今は日々の幸せを犠牲にして、我慢する時」みたいな雰囲気が蔓延していますが、これを何も考えずに受け入れてしまってはダメだと思います。
この意見を受け入れるなら、「今我慢しないと、不幸な結果になってしまうから」や「将来の幸せのために、今我慢しよう」と、自分の人生視点での我慢する理由がないといけません。
「メディアやSNSで自粛しない人が厳しく言われているから」や「近所の目が厳しいから」などという理由で、自粛するというのはどうかと思います。
せめて「近所で悪目立ちすると、これからここで生活する上で支障が出る」というような自分視点での理由を認識した上で、自粛するべきです。
コロナ鬱や自殺者の増加など言われていますが、その原因として自分視点でうまく立ち回れないことがあるんじゃないかと考えています。
周りからの自粛の雰囲気によって外出をやめて人とのコミュニケーションが減り、自分のメンタルが壊れかけていても自分の事を一番に考えられずに限界を超える、という状況があるように思います。
こうならないためにも、たとえコロナ禍であっても自分の幸せを第一に考えていくべきです。
生きていく上でリスクは不可避
そしてもう一つ認識しておかないといけない考え方は、生きていく上で死のリスクを100%避けることは不可能だということです。
車に乗ると事故に合うかもしれないし、お菓子を食べると深刻な病気につながるかもしれないし、忙しい職場で働いていると死を望むほどの鬱状態になるかもしれません。
急に心臓発作が起こったり、はたまた遠からず地球に隕石が落ちてきて人類が滅ぶ可能性もゼロではないと思うので、何か行動を起こさなくても死のリスクはあります。
となると死のリスクを100%避けるには死ぬしか無いという逆説的な話になるのですが、まあそんな事を気にしながら生きている人なんていないですよね。
コロナにかかって亡くなる人がいることは事実ですが、そのリスクを正しく評価しようとしている人は多くないように思います。
必要なのはコロナのリスクを正しく評価して、自分のリスク許容度と比較をすることです。
僕の認識ではコロナで20~30歳の日本人が死ぬ確率は、自分のリスク許容度からいうと無視できるほど小さいと考えています。
僕は車であてもなくドライブをすることが好きで、あとメンタルも若干弱めなところがあるのですが、コロナと比較すると事故死や鬱による自殺の可能性のほうがはるかに高いように思います。
とはいえそれらの死亡リスクも無視できる程度だと考えているので、車の運転を控えたり、メンタルケアを行ったりしていない以上、コロナを避けるために極端に外出を避けるというのは自己矛盾が生じてしまうと考えています。
とはいえ、あくまでこれは自分のことだけを考えた結果であり、僕の場合だと死亡リスクの高い高齢の家族と暮らしていたりと、いろんな条件が複合的に絡んできますので、これが全てではありません。
しかし、いずれにしてもリスクを正しく評価する姿勢が重要です。
前回少し触れましたが、メディアはそのビジネス構造上、不安を煽ると儲かる仕組みになっているので、ひたすらコロナの危険性を発信してきます。
メディアからの印象をそのまま受け入れず、批判的になって正しい情報を読み取っていくことが必要になります。
守るべきことは法律で決める
ここまでの内容を読んで「あまりに自己中心的すぎないか?」と思う方もいるかと思います。
しかし自由と民主主義を基本としている日本においては、人々は自己中心的であるべきだと思います。
「自己中心的」と言う言葉はかなり自分勝手なイメージですが、言い換えると個々人の幸せを重要視する「個人主義」の方が、言いたい意味に近いです。
個人主義の考え方としては、個人の権利や自由をベースとして社会全体を設計します。
個人を重視すると個人同士の利害がぶつかり合うことがたくさんありますが、ここで出てくるのが法律です。
法律を作ることによって、他人や国家から権利や自由を侵害されないように、公平にルールを作るのです。
自由で独立した個人が、ルールの範囲内で生活していくような社会です。
と、これだけだとなんだか殺伐とした社会をイメージしてしまいますが、そんな事はありません。
人間は集団で生きる生き物なので、他者への思いやりや親切心は本能的に生まれてきます。
個人主義の歴史が長く進んでいるのは欧米ですが、そんなに殺伐とした社会というわけではないですよね。
そんな欧米では政府による厳しいロックダウンが度々行われていますが、これを個人主義から解釈すると、コロナの影響によって「自由に外出すること」「飲食店が通常通りに営業すること」が国民の生存や健康を脅かすものだと判断され、それを行わないことが法律化されたといえます。
個々人の利害がぶつかりあったところに「ロックダウン」というルールを作って、最適な形に調整しているわけです。
一方、日本はと言うと、建前上自由や民主主義をベースとした社会にも関わらず、個人主義がそれほど浸透していません。
世界の歴史から見て、日本は比較的平和な時代が多かったことから、個人の権利を守ろうとする「個人主義」を必要としてこなかったのでしょう。
政治が安定しているため、国家やコミュニティーを信頼して尽くしていれば、平穏に暮らせたということがあると思います。
そして日本は移民も少ないため価値観が似通っていて、厳格なルールを個人間に作らなくても、なんとなくやっていけていました。
しかし個人を重視する人は着実に増えていて、また外国人もまだ少ないながら日本に増えているというのが最近の状況であり、少しずつ価値観の多様性が広がっています。
そんな日本のコロナ対応は、厳格なルールを作るのではなく、雰囲気を作り出すことによって行われています。
「個人主義」の対義語は「全体主義」ですが、現在の日本でなんだかその空気感を感じませんか?
「社会のため自粛しなければ」という空気感を、政治もそうですが、国民も率先して発しています。
自粛しない人は「非国民」みたいな扱いです。
同じような価値観の人ばかりだと太平洋戦争の時みたいにほとんどの国民が団結できたかもしれませんが、今の日本は価値観がバラバラになりすぎていて、自粛したい人と自由にしたい人が分裂してしまったのが現状だと感じます。
したがってこの状況で有効なのは、欧米のような厳格なルールを決めて、個人間の利害を調整することです。
そして個人の視点に立つと、不完全ではありながらも個人主義をベースとした社会にある以上、全体主義的雰囲気には惑わされずに、法律は遵守して、自分の頭で考え行動することが必要だと思います。
社会への影響を考える
個人視点で考えてきましたが、自分の幸せの観点から、周囲や社会への影響を考える必要はあると思っています。
これまでの説明だと、外出自粛に反対派だと思われるかもしれませんが、全くそういうわけではありません。
死亡リスクの高い高齢の家族と暮らしている話はしましたが、その家族を苦しめるわけにはいかないので、感染が広がっているタイミングでは外出を避けたり、感染が多い地域に行った後はしばらく家族と接触しないようにしたりと、気を配っています。
また高齢者の多い地域に住んでおり感染拡大すれば身近に住んでいる人たちが危険になってしまうので、そうならないように感染対策はしっかりしています。
だからといって外出を全くしないというわけではなく、自分の自由も無視はしていません。
それらの前提にはやっぱり自分の幸せがあり、家族や地域の人たちを危険に晒すことは自分の不幸せになるという理由で避けています。
自分の幸福の観点から、自由であることと周囲の人の安全という、2つの要素をバランス良く気を配って、自分のコロナへの対応をどうするか常々考えているところです。
なので、社会への影響を考えるからと行って、周囲からの要請にそのまま応えるというのではダメだと思っています。
どう行動すべきかは自分で決める
全体を通して言いたかったのは「自分の頭で考えよう」ということです。
テレビの街頭インタビューで「総理大臣と都知事の言っていることが違って、何を信じたら良いのかわからない」と行っている人を見たことがありますが、この姿勢はどうかなと思ってしまいます。
まわりから言われたことを脳死で実行するのは楽ですが、それに振り回され、自分の人生を歩めないことに繋がります。
なので自分の頭で状況を見極めて、自分の頭でどうするか考えるという姿勢が重要です。
そしてコロナ禍であっても自分の人生の一部なので大切に扱いましょう。
そうやって個人主義的になって、自分の頭で考えられたら、このギスギスしたコロナ社会ももう少し生きやすくなるんじゃないかと思います。
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